〔五二九〕はその一例で、天正十八年八月十日、関東奥州も平定し、海内悉く秀吉の威勢に服した時、庶民取締の条目として五条を示したもので、秀吉の社会統制策がよく現れている文書で、この方面の重要な史料である。尚この文書の充所には、「とのへ」と仮名で書いた敬語が付いている。かような書式を具えた印判状は、種々の内容をもった文書にも用いられている。今その一例を図版で示すと上の如きものである。
(略)
この文書は、文禄三四年に亘り、秀吉が島津氏分国の検地を行い、義弘に薩摩大隅日向諸県郡五十五万九千余石の知行を充行う為に出した朱印状である。日下に秀吉の朱印が捺してあり、料紙は大高檀紙を折紙に調えて用いてある。当時知行充行いには大抵かような形式のものであった。とのことです。