この朱印状は図版に見る如く、先に挙げた朱印状とその書風を全く異にしている。之は当時秀吉の右筆として専ら外交文書の作成に携わっていた豊光寺承兌の執筆したものである。蓋し外国に出征する将士に与えた檄文であるがために特に承兌をして文を作らしめ、且つ之を書かしめたものであろう。かようなわけで文章が漢文体であり、且つ帝都と云う言葉に対して抬頭の書礼をとり、本文の書止めも普通のものとは異なっているが、朱印状の形式としては異なるところが無い。とのことです。
この朱印状は図版に見る如く、先に挙げた朱印状とその書風を全く異にしている。之は当時秀吉の右筆として専ら外交文書の作成に携わっていた豊光寺承兌の執筆したものである。蓋し外国に出征する将士に与えた檄文であるがために特に承兌をして文を作らしめ、且つ之を書かしめたものであろう。かようなわけで文章が漢文体であり、且つ帝都と云う言葉に対して抬頭の書礼をとり、本文の書止めも普通のものとは異なっているが、朱印状の形式としては異なるところが無い。とのことです。