本文書止めに「何々也」の文言を用いた朱印状を出したのは、秀吉に止まるのでは無く、家康も慶長年間のものには同様のものを出している。次に図版を以て示すのはその一例である。
(略)
この文書は、家康がその家臣長崎伊豆守に知行を充行うために出した朱印状である。料紙は竪紙で、大高檀紙、封紙の形式は折封、その紙質は本紙よりは悪く杉原紙が用いてある。当時の朱印状にはかくの如く封紙が本紙とその質を異にし、特に悪い紙を用いるのが通例となっている。これが一つの書礼と考えられていたもののようである。とのことです。