家康の「忠恕」の印、「恕家康」の印

扨て日下に捺した家康の印は、慶長四年頃から用いた小判形印文「忠恕」の朱黒印を慶長六七年頃に廃して、新に用い始めたもので、朱印と黒印と両様になっている。此印を慶長十三年頃廃して、前出〔五二六〕慶長十九年の知行充行の印判状に捺した小判形の印文「恕家康」の朱黒両印を用い始め、晩年に及ぶまで之を用いている。なお前述した〔図版第一五〇〕外国関係の文書等に捺した印を一種別箇に用いているが、伝馬の手形の印以外としては、右に述べた印を最も普通に用いていたのである。とのことです。