社寺領の寄進と安堵との文書である「御朱印」

当時臣下家人に知行を充行うには、かくの如き朱印状を出すのが通例であった。又社寺に領地を寄進し、或いはその領地を所有する権利を保証すること、即ち安堵せしめる場合にも、大抵この朱印状を発している。そこでこの文書を御朱印と云い、又御朱印と云えば、社寺領の寄進と安堵との文書を意味するようになり、かかる社寺領を御朱印地とも称するようになって来た。然し特に由緒の深い社寺に対しては、将軍家の花押を据えたものもあった。又諸国の大名も、家臣に知行を充行い、社寺領を寄進し、或いは安堵せしむる場合に、朱印状黒印状或いは判物を出している。朱印状が将軍家に、黒印状が諸大名に限るものでは無かった。とのことです。