右に挙げた如くこの部類に入る印判状に、本文書止めに「何々也」を用いたものは多くあるが、之は前説書札様文書と同様「如件」と書くよりは、更に鄭重でない書き表し方であった。之と反対に「仍如件」よりも更に鄭重に書き表す印判状もあった。〔五三一〕にあげたのはその一例で、天正十九年五月廿四日に、加賀金沢の前田利家が、越前敦賀湊の御用商人たる高島屋傳右衛門に、その領国から敦賀へ上す米穀を管理することを委せるために出した朱印状で、日下に印文「利家」とある小判形の朱印(※)が捺してある。とのことです。
(※下巻では紫印とある)