上杉家のものに倣った北条高広の印

日附の下に印を捺した例としては〔五三六〕の如きものがある。永禄十二年閏五月廿三日、上野厩橋の北条(きたじょう)高広が同国赤城山に出した制札で、珍しい印判状である。その第一条に、駿河の富士浅間大菩薩が、赤城山小路之嶽に飛び移ったことが見えているのは、この種文書の内容としては特殊なものと云うべきであろう。印は「富貴」の二字を横に列ねた、縦一寸四分、横一寸二分、重郭の朱印である。なお高広は元亀年間壺形の中に、「藤原」の二字を印文に収めた小形の黒印をも用いている。越後上杉輝虎の印とその趣を同じくしたところがある。高広は厩橋にあって輝虎のために働いていたから、自然印を作るに当たっても上杉家のものに倣ったものと思われる。とのことです。