虎ノ印判は、必ずその時の当主の許に具わっていた
日附の上部に、氏政の用いた縦七分八厘、横八分二厘、重郭、印文「有效」の朱印が捺してある、この文書と同じ年の天正十三年頃から用いている。右の印判状の追而書に、御出馬中であるから、御隠居の封判を押すとあるのは、氏直が上野に出馬し、その許に虎ノ印判を携えているから、小田原におった氏政がこの印を代って捺して出すということである。先の氏康の「武榮」の印判と同じように、氏政のこの印判も、虎ノ印判の代わりとなることもあった。虎ノ印判は、必ずその時の当主の許に具わっているものであったことが、右の事実に依っても知ることができる。とのことです。