2024-09-13 本文書止め「謹言」と鄭重な古河公方足利道長(政氏)の黒印状 なお〔五四三〕に挙げたのは、慶長十四年家康が島津家久の琉球の領知を認めたが、之に対して家久の挨拶を致せるに答えるために出した印判状、日下に「恕家康」の黒印が捺してある。 以上は本文書止めに、「何々也」と結んであるが、〔五四四〕に示した古河公方足利道長(政氏)の書状には、日下に黒印が捺してあり、本文書止めに、「謹言」と記してある。かように鄭重な文言を用いるときもある。とのことです。