2024-10-06 秀吉の秀次宛朝鮮出陣に関する朱印状 以上は本文書止めに「如件」と書いたものであるが、単に「何々也」と結んだものもあった。次に挙げる印判状はその一例である。 (略) 文禄元年五月二日朝鮮の都京城が陥落するや、秀吉は兼ねての計画通り、自から朝鮮に出陣せんとした。そのため名護屋の本営に入るべき大将として、大坂より秀次を招かんとし、その出陣の用意に関し諸事に亙って秀吉の意見を伝えるためにだしたのが、右の朱印状である。とのことです。