鎌倉東慶寺寺主の「東慶寺」の黒印判

日下に「山木」とあるは、伊豆の山木で、この婦人の居所或いは知行地と思われる。日附の字面に猪を画き、下部に印文「軍勝」とある、実に立派な印判が捺してある。日附の「み」た丁巳即ち弘治三年に当たる。当時婦人にしいて印判を用いていた者が少なくない。今川氏親の後室壽桂尼(中御門氏)が「歸」の一字の朱印判を用い、鎌倉東慶寺の寺主は尼僧であったが、「東慶寺」の三字を印文にした黒印判を用いているのは、その実例に挙げることができる。山木御方もこのようにこの印判を用いたように思われるが、亡父貞基の印判を襲用したものとも考えられる。とのことです。