次に本文書止めに「如件」と書いているものを挙げると、〔五七三〕の如き、(元亀二年)正月二日、信長が木下秀吉に近江姉川より朝妻の間、北国から大坂に向かう諸商人等の通行を禁止するために出したものがある。例の朱印が捺してある。充所の敬語が「とのへ」となっているのは、「如件」と相応しない書き振りであるが、之は信長の名の下に花押が捺してある場合のことで、それを印に代えているから、従来の書礼とは合わぬものが生じたとも見ることができるであろう。然しかかる例はこれ以前には現れていないようである。とのことです。
次に本文書止めに「如件」と書いているものを挙げると、〔五七三〕の如き、(元亀二年)正月二日、信長が木下秀吉に近江姉川より朝妻の間、北国から大坂に向かう諸商人等の通行を禁止するために出したものがある。例の朱印が捺してある。充所の敬語が「とのへ」となっているのは、「如件」と相応しない書き振りであるが、之は信長の名の下に花押が捺してある場合のことで、それを印に代えているから、従来の書礼とは合わぬものが生じたとも見ることができるであろう。然しかかる例はこれ以前には現れていないようである。とのことです。