信玄死没を偽って出された直判なしの印判状

遠江に於ける合戦とは、文中寒天廿一日附のものとなるが、信玄は之より先四月十二日信濃駒場の陣中で没しているから、信玄に仮託して出したものとなる。追而書に病気が恢復しないので直判即ち花押を加えることが出来ないと書いてあるのは、実は死没を偽っていたのである。若しかく解釈して誤り無しとすれば、信玄死没の直後、その喪を秘していたことは事実と云うべきである。而もかかる場合に印が如何に利用せられたか、実に興味ある事例を示すものと云うべきである。とのことです。