天正八年四月十四日一向宗の坊主衆門徒衆の書状

(附記 この書式に入るべきものに〔五八四〕の如きがある。天正八年四月十四日、紀州一向宗の坊主衆門徒衆が惣体として、雑賀におった門主光佐の坊官下間頼廉父▢▢(子にカ)向けて送った書状。光佐の子光壽は父と向背して、信長との和議に服せずして独り大坂に止まったが、遂に再挙し難きを悟り、紀州鷲森に下向した。即ちこの書状に新門主下向とは之を指す。とのことです。