然るに花押は盛隆のものであるが、印は印文が「止々齋」と三字から成り方形の朱印である。止々齋即ち盛氏の印には、先に述べた如く壺形の印に同じ印文を刻んだものがあり、この印は形こそ右の印と異なるが、印文に依れば明らかに盛氏の印である。盛氏は既に天正八年六月十八日没しているから、この印はその後盛隆が襲用したものと見るべきである。かように考えて誤りなしとすれば、この証判を花押を据えた上に更に印を捺した形式と見ることができる。唯先に挙げた多くの例は花押と印とが重なっているが、これはそれと相違し、この点に於いてはすぐ前に例示した黒田孝高の印判状と同じ形式をとっているのである。若しこの止々齋の印が、盛氏の後室が襲用していたとすれば、之は印と花押との連署の形式となり、ここに入るべき例に挙げることはできない。とのことです。