而してその後は、印判状は日下に花押を据え充所を具えた、即ち書札様の文書と専ら書礼を対比して作るようになった。袖の印に依って従前の袖判の下文が再生した形であったが、之が消滅した後は、花押を据えた文書、印判を捺した文書、この両様の文書を通じて、ここに全く書札様文書の形式が、文書書式の中心となるに至ったのである。かように観てくると、大体天正の末年慶長の初頭を以て古い時代からの一部公の文書を除き、公私両様の文書、共にその形式が悉く書札様化したと見做して差支えない。とのことです。
而してその後は、印判状は日下に花押を据え充所を具えた、即ち書札様の文書と専ら書礼を対比して作るようになった。袖の印に依って従前の袖判の下文が再生した形であったが、之が消滅した後は、花押を据えた文書、印判を捺した文書、この両様の文書を通じて、ここに全く書札様文書の形式が、文書書式の中心となるに至ったのである。かように観てくると、大体天正の末年慶長の初頭を以て古い時代からの一部公の文書を除き、公私両様の文書、共にその形式が悉く書札様化したと見做して差支えない。とのことです。