文永六年鴨御祖社西寶殿の高欄の金花が開く怪異を占う

〔六〇七〕に挙げたのは、永久元年十二月十八日、神祇官の占文、吉田社第三神殿の変異に関して吉凶を占った時のもの、〔六〇八〕は文永六年七月十九日、陰陽寮の占文、鴨御祖社西寶殿の高欄に金花開きたる怪異に関して吉凶を占った時のものである。右は別個の事に関して、神祇官陰陽寮の占文を各一通づつ示したが、大抵同一事に関して両者が同様に占い、占文を各一通差し出すものであった。

なお〔六〇九〕に挙げたものは、弘安五年正月廿九日、天文博士安倍晴直、大舎人頭同有光の両人が、春日社御榊并に法勝寺の鳴動に就いて、吉凶を占った時の占文である。とのことです。