承久三年陰陽頭賀茂在親の日時勘文

〔六一〇〕は、文永六年七月二日、大外記清原良季が、先に占文の項に記した鴨御祖社西寶殿の怪異に就いて、その先例と、吉凶を卜した占文の内容を注申したもの、勘文と呼ぶべき文書である。

〔六一一〕は、承久三年十月廿八日、陰陽頭賀茂在親が、先に表の項で記した摂政近衞家實の上表の日時に関して擇定した結果を上申した日時勘文、〔六一二〕は、(承久三年)十二月八日、大舎人頭安倍宗俊が、家實の第三度目の上表の日時を擇定せる勘文である。かように日附に年号を記さないものもあった。とのことです。