次に寺院に於いても相論に関する意見状を作っている。〔六二〇〕に挙げたのはその一例、延文元(正平十一)年四月廿一日、東寺領若狭太良庄公文職の相論に関して立てたもの、その形式は、前記幕府奉行衆のものと大いに相違している。先づ訴訟当事者両方の申文を二項に分けて挙げ、之に就いて何れに理があるやを、供僧に問う形式をとり、之に対して問を受けた供僧から、この問状とも申すべき一通の中に、各自筆を以て意見を具記したものである。当時に於ける寺院の裁判制規を見る上にも貴重な史料である。東寺百合文書の中には之に類する他の意見状もある。とのことです。