元応二年当時の守護不入の地尾道湊の景況を見るべき資料

〔六二四〕は、元応二年八月日、高野山金剛峰寺衆徒が、同寺大塔領所の備後太田庄倉敷尾道浦に於ける守護人の狼藉を止めんがために、院宣を下されんことを請うた申状である。当国守護が不入の地尾道に入部し、種々押妨を加えた事実が列挙してあるが、その記事の中に、当時に於ける尾道湊の景況を見るべき資料がある。倉敷と湊との関係史料として、又守護人が如何にかかる交通商売上の要所を入手せんことに努めていたかを見るべき史料としても頗る興味がある。とのことです。