九州探題渋川道鎮(満頼)の吹挙状

なお吹挙状の例を示すに、〔六四四〕は、応永廿二年四月五日、九州探題渋川道鎮(満頼)が、肥後阿蘇宮司惟村の子息惟郷の大宮司職相続認許の御教書を得んとの申し出を、幕府に吹挙するために出した文書である。かような吹挙状は大抵披露状、即ち相手方の側近者に上る形式をとる。この吹挙状も将軍に直接充てず、奉行に充てて出し、これが披露せらるるようにと書いている。従って書式は皆書札式であって、而も鄭重な書き振りとなっている。とのことです。