次に事柄を処理した結果を報告し、又は状況を検査して報告するために作った注進状である。〔六五三〕は、建久八年八月廿九日、讃岐国使并に官使が、日吉社領同国柞田庄の堺を確定して、その四つの境即ち四至に牓示即ち境の標識を立てたことを報告するために作った注進状である。
なお中世庄園の田畠を実検し、その分量を注記し、それより出づる年貢公事物等を注記せる文書を検注状、丸帳、名寄帳、馬上帳等、種々の名称を以て呼んでいる。又内検帳と称するものがあるが、臨時に田畠を検地するを内検と云い、その結果を注記したものを呼ぶのである。とのことです。