〔六五五〕に挙げたのはその一例。嘉禎元年十一月十二日、安芸三入庄の地頭惣領熊谷時直と庶子同資直とが三分して、時直が二分、資直が一分を分領するために作った分帳である。これは使者前周防守藤原親實と申す者が作った文書であって、袖に幕府の執権北条泰時と連署同時房の両人が証判を加えている。かように証判を加える例もあったのである。分帳は、他の注進状と同様長文のものになると、横に罫線を引いた料紙を用いている。この分帳には、何れも当時に於ける庄園の組織に関する事柄が多く書いてあるから、この方面の研究資料として重要なものである。とのことです。