(略)
此文書は、安芸安摩庄衣多(江田)島の惣公文が、同島から厳島社日供米を送った時の送文である。梶取等にもよく判るように仮名で書いたものであろうか。又同じ日供米を運上した送文にも〔六五七〕の如きものがある。ここに図版に示した送文の料紙は細長であるが、〔六五七〕の嘉禎四年のものは、普通の大きさの料紙である。送文には細長の料紙を用いたものがままある。嘉禎四年の送文の中に宣旨升定とは、宣旨升で量って三石ということである。定はさだめと訓まず、ぢやうと音読することになっている。とのことです。
(略)
此文書は、安芸安摩庄衣多(江田)島の惣公文が、同島から厳島社日供米を送った時の送文である。梶取等にもよく判るように仮名で書いたものであろうか。又同じ日供米を運上した送文にも〔六五七〕の如きものがある。ここに図版に示した送文の料紙は細長であるが、〔六五七〕の嘉禎四年のものは、普通の大きさの料紙である。送文には細長の料紙を用いたものがままある。嘉禎四年の送文の中に宣旨升定とは、宣旨升で量って三石ということである。定はさだめと訓まず、ぢやうと音読することになっている。とのことです。