播磨国福井庄の名主百姓等が領主吉川経基の家臣に対して出した請文

次に〔六七八〕は、文明十九年四月廿五日、播磨国福井庄の名主百姓等が、その領主吉川経基の家臣に対して出した請文、今英賀同光明山并に松原の陣中に名主百姓が出仕しているが、何時と雖も更に陣替がある時は、庄内の百姓を悉く招集して従軍し忠節を抽づる由を誓うために出したものである。この請文で特に注意すべきは、差出所に名主百姓等と所謂複数を以て表してあるのに、一つの花押を据えていることである。かように多数の者の署判となり得る花押が現れていることは、花押の働きが大いに広くなって来たものと見るべきである。単に個人に限る意味を持つ計りではなかったのである。とのことです。