幕府の執権連署が奉じて出す請文を関東請文と称している

次に他の一に、返事であることが明瞭に書き現してない形式のものがある。〔六八〇〕に挙げたのはその一例、これは京都の久我家の所領相伝に関して、執権赤橋守時連署北条茂時が将軍家の仰を承って奉った請文である。之には御沙汰に対する返事の意味が明らかに表してない。

尚当時、幕府の執権連署が奉じて出すこの請文を、御教書を関東御教書と呼ぶと同じ式に関東請文と称している。又この形式のものが、何時頃から現れているかと云うに、承久合戦後義時の時代のものから見えている。細かい書式は、右に説いたものと異なっているが、〔六七九〕の如きものがある。之も関東請文と云っている。とのことです。