永正七年大和多武峯鎌足公の御体破裂等の怪異を祈謝する告文

〔七〇六〕に挙げたのはその一例、保安四年七月朔日、白河法皇が山門の衆徒の擾乱静謐を諸社に祈請せらるるために奉らんとしたものである。この御告文の奥書に依ると、山徒の妨害に依って院使を発遣することができず、実際に於いてはこの御告文は草案として作られたまでであった。〔七〇七〕は永正七年十月十四日、関白左大臣九条尚経が、藤氏長者として、大和多武峯鎌足公の御体破裂等の怪異を祈謝するために奉った告文で、これ又宣命体の文体をとっている。又中には漢文の文体をとるものもある。〔七〇八〕は即ちその一例、嘉承二年二月十五日、大江匡房石清水八幡宮に病気平癒を祈って奉った告文である。とのことです。