東寺塔御供養の勅願文と比べ極めて粗末な料紙の高野山鎮守天野社宛後醍醐天皇御願文

次に単に祈請せらるるために出された御願文を挙げるに、次の如きものがある。

(略)

後醍醐天皇は延元元年十二月廿一日、京都を出で廿三日大和吉野に遷幸あらせられ、廿九日この御願文を紀伊高野山鎮守天野社に納めて天下静謐を祈らせられ、御願成就の上は、同社に法楽を供え、密宗興隆のため、同山に行幸せられ、又仏法紹隆のため、寺領を寄進せらるべき思し召しを宣わせられたのである。御料紙は縦五寸五分、横五寸七分の極めて粗末な薄葉の切紙であって、先に記した東寺塔御供養の勅願文とは大きい相違がある。とのことです。