今日伝わる最古の天長十年の御手印

遥かに時代を遡った願文の一二を示すに、〔七一〇〕の如きがある。これは桓武天皇の皇女伊都内親王が、天長十年九月廿一日御生母藤原平子の御遺志に依り、その菩提を弔うために、興福寺に香燈読経料を納めたまえる時の御願文である。世に橘逸勢の執筆せるものと云われているが、その確証があるわけではない。日附の次に香取鹿島を始め氏神を勧請して、永劫変違なきことを誓わせられた起請文が添っている。この起請の御位署の下に、御名二字があるが、これは御自筆である。なお字面に間隔を置いて右の朱の御手印が二十五顆捺してある。高野山弘法大師の御手印縁起と伝うるものがあるが、之は承和四年の日附であり、これよりも四年古く遡る天長十年のこの御願文にある御手印は、今日に伝わる手印の最古のものである。とのことです。