以上造立供養の願文の諸例を一二挙げたが、単に祈請のために捧げた願文の例を示すと、〔七一三〕は中院定平が、天下泰平万民王化に帰せんこと、即ち後醍醐天皇の一統の御政治の実現を、観心寺本尊に祈請するために奉った願文、〔七一四〕は足利直冬が正平十年正月、官軍に応じて京都に上り、賊軍を撃たんとしその治罰成就を神仏に祈請するために奉った願文、もと東寺に伝わり、伴信友が同寺の文書を調査した時に写したものが、信友の調査筆記請文零聚楽に収めてあり、その説明に「竪四寸許の斐紙に書たり、古色当時のものなるべし」と記してある。蓋し戦陣の間にあって作ったものであるから、小さい切紙に書いたのであろう。又文章が全く宣命体をとっていることも注意を惹く。とのことです。