関東管領足利持氏の血書の願文

次に願文としてその形様の著しく異なったものとして、左の如きものがある。

(略)

将軍足利義教関東管領足利持氏との間は円満で無く、義教は機会あれば持氏を仆さんとし、又持氏も義教に心服するところが無かった。この願文は、持氏が敵意を持つ義教の攻撃の未だその身に及ばざる前に、之を仆して、関東管領の重任を永く得んがために、鶴岡八幡宮に大勝金剛尊等等身像を造立して祈請せんがために作ったものである。前述した兼実の願文の如き、金泥を以て書くのは特別なもので、通例は墨筆を以て書いている。然るにこの持氏の願文は墨筆を用いず血書している。但し血書と云っても全く身血を以て書いたのでは無く、朱に血を和して書いたもので、一見朱書の観を呈している。然し兎に角血をも用いて書いたところに、その祈願の意趣の並々ならぬ有様が窺われる。経文等にはまま血筆にて写したものがあるが、願文としては実に類稀のものである。墨に血を和して書いたものとしては、小早川家文書の中に琴江令薫の起請文があり、全文血筆を以て書いたものとしては、上杉家文書の中に近衛前嗣(龍山)が長尾景虎(謙信)に送った起請文がある。何れもその決意の強いことが推知される。とのことです。