〔七一五〕は山内上杉憲政が、小田原北条氏を討滅して同家勢力の復興を、鹿島神宮に祈請するために作った願文、日附の次に充所に当たるものを書いているのは注意すべき書式である。先に挙げた願文類には書札の如き書式をとったものは無い。之が願文の通例である。然るに中世室町時代に及ぶと、願文も次第に書札様となって、ここに見るが如き書式の願文が作られたのである。この傾向は後に説く寄進状に於いても同様であった。〔七一六〕は、毛利輝元が文禄元年朝鮮役に出陣し、大神宮に武運長久を祈念するために奉ったもの、之にも充所が加えてある。
以上挙げた諸例に依って判るように、願文は各時代に於ける敬神崇仏の歴史を知る上に極めて重要な史料となるものである。とのことです。