石清水、賀茂、鶴岡の古文書整理

続いて、石清水八幡宮。同宮祠官田中家三代の宗清が鎌倉時代初期に宮寺縁事抄を撰録し、これと同時に古文書を整頓しました。その後、十三代の奏清は、応仁文明の乱中にも拘らず古文書の修補に努めました。十八代の敬清も古文書を修理し、養子召清も更に大いに整理をしました。召清は田中家を敬清の実子要清に譲り、田中家の分家竹家のさらに分家の東竹家を再興しました。そして田中家に伝わった記録・古文書などの複本をつくって東竹家に伝えることとしました。

賀茂別雷社もかなり早くから古文書の整理をしていました。延宝七年、幕府の命によって続本朝通鑑を編集していた林家に相伝の古文書十巻を提出しています。

鎌倉の鶴岡八幡宮では、寛文年間社伝の古文書を整理して巻物に収めています。