2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

甥景勝が度々書札を贈ってくるのでそれに答えた輝虎の書状

次に上杉輝虎の書状を示そう。 (略) 永禄七年二月、輝虎は、上野地方に出陣し、諸所の敵城を攻略していたが、本国越後に留まっていた甥景勝が陣中に向けて度々音問の書札を贈るので、之に答えるために出した書状が右に挙げた文書である。とのことです。

毛利元就の孫吉川元長が写す

因みにこの書状が、弘治三年のものであることは、吉川家に伝わる元就の子元春の長男元長が、この文書を写したそれに弘治三年のものと書いてあるに依って判るのである。元長が写しをとっているところに、又この文書を如何に大切に取り扱っていたかがわかる。…

毛利家吉川家に伝わる教訓資料

かの元就が三本の矢を示して三子合力して事に当たるべきことを諭した有名な話も、かかる文書が元になって起こって来たものと思われる。元来毛利吉川両家に伝わる文書には、元就を中心にした父子叔姪の自筆書状の遺るものが極めて多い。武家のみならず他の社…

毛利元就の三子に充てた教訓

扨て次に示す図版は、かの毛利元就自筆の書状である。 (略) 図版は便宜書状の首尾のみをしめしてある。この書状は、(弘治三年)十一月廿五日毛利元就が、三子隆元、元春、隆景に、兄弟互いに力を合わせて、毛利家の発展を図らしめるために、諸事に亘って…

捻封のなかでも一枚で、中央で横二つに折るという二つの特徴がある

次に封紙も特徴を持っている。本紙と同質の薄様を二枚重ね.、之を中央で横に二つに折る。図版にその折筋が現れている。二つに折って、本紙の折り畳んだものを包み、上下を裏へ押し、捻って紐をかけて結び、上部の結び目のみに封目として墨引が懸けてある。こ…

折り畳んで切封を加える

図版は折紙を広げて示してあるから、右に云う横の折筋中央三分一を残して左右各三分一を切り放した跡が明瞭に現れている。折り畳んで切封を加えたもので、切封の紙紐も残っている。封目に加えた墨引は裏になっているから現れていない。とのことです。

折紙の左右各三分一を切り放すと平均して折り進むことができる

之を縦に折り進めると上部と下部とが平均に折れず、下部が上部に比して細目になり、上下不揃の頗る不体裁となる。そこでこの欠点を除くために、横の折り目の折筋を中間三分一を残してその左右各三分一を切り放して、先づ中央で縦に二つ折りにし、その折目か…

薄様鳥子だが、四枚重なるので可成分厚くなる

この消息の形態は、当時に於ける女子の文書の書礼を見る上に極めて注目に値する資料である。料紙は薄様鳥子を用い、折り紙であるが、本紙と礼紙の二様から成り、礼紙には墨付なく本紙を折った中に折り重ねてある。かように二枚の料紙であるから折紙となると…

将軍足利義晴の侍女佐子上臈局にも例物を送った為景

(略) 享禄三年九月、為景が将軍足利義晴から小袖を拝領し、その礼儀を致したが、その折義晴の侍女佐子上臈局にも礼物を送った。局がそれに対して答謝するために出した消息が右の文書である。とのことです。

横に二筋のあるのは何を示すか、後項書札の形様の項参照

この文書の紙面を熟視すると、横に二筋のあることに気づかるるであろう。縦に筋のあるのは、紙を縦に折り畳んだ結果であって、何等不思議でない。この横の筋は何を示すものであろうか。之に就いては、後項書札の形様を概括して記述するところに譲っておく。…

為景のために従軍した房景が部下の討死を嘆く

為景のために従軍した房景がその部下の討死を嘆いているのを聞き、それを慰むるためにこの文書を出したのである。文中敗軍にてさえ討死を嘆かざるものである。ましてこの合戦の如き勝軍には、ゆめゆめ嘆かざるものであり、若き者は反って之を喜ぶべき事とし…

越中守護畠山尚順を助けた長尾為景

当時越中は守護畠山尚順と、その家臣神保椎名土肥諸氏と相反目して争い、為景は尚順に味方を致していた。為景は尚順のために、神保慶宗等を新庄城に攻めて、慶宗以下を討ち取って勝利を博したが、味方にも討死が少なくなかった。とのことです。

長尾為景の一門房景宛書状

通例書状消息と云っても、その文書の内容或いは送致する事情に依って、種々の形態に作られるものである。この髻の文に続いてかかる事例を一二記述することとする。 (略) この文書は長尾為景が永正十七年十二月廿四日、越中新庄城に於ける一門房景の戦功に…

同一の要件を通達する文書でも料材に相違を来す

要するに同一の要件を通達する文書でも、その受取者の居る場所、或いはその作成する日時の関係によって、甚だしく文書の料材に相違を来す事実を、右の文書によって適切に知ることができる。かくの如き事情からして古文書の形態に複雑性が現れてくるのである…

安全だったので、料紙に特別な手段を講じなかった

これらは時期が後れているから、その送致に当たって前者程警戒を要しなかったかも知れないが、恐らく近畿から比較的近く、又安全な地域であったから、料紙に特別の手段を講じなかったものと思われる。とのことです。

普通の大きさ、縦一尺、横一尺三寸八分

長井貞頼に充てた文書は、日附が少し後のものであるけれども同文である。然るに普通の大きさ即ち縦一尺、横一尺三寸八分の紙を用いている。これに類した文書としては五月十六日附で信濃の小笠原宗長に充てたものがあるが、これも又普通の大きさの料紙である…

綸旨・令旨は小形のものでも紙に書いてある

吉野の御所、或いは諸国の親王の御在所から発せられた綸旨、令旨で、この文書と似た大きさ、或いは更に小形のものに書かれたものもあるけれども、皆紙に書いてある。恐らく綸旨令旨は、料紙は小形でも、髻に納めることをせず、正式の文書の封式を整えて送ら…

髻の綸旨といわれていたが綸旨ではない

近畿方面から遠方の九州方面に送致するには、敵の領内を通り多くの艱難があったために、密使の携帯の便宜を計って普通の大きさの料紙に書かず、かように小さい絹布の切れに書いたのである。而して之を紙縒のように縒って使者の髻の中に縫込んだと伝えている…

具簡とは大友貞宗のこと 立花寛統氏所蔵

具簡に充てたものは、高氏の此書状が行く前に、高氏の許に使者が到来しその同意を悦ぶ趣を記したもので、他の島津阿蘇両氏に送った書状よりも少しく大きい料布を用いたものと思われる。とのことです。

二寸から三寸程度の頗る小さい絹布

具簡に充てたものは、縦三寸五分、横二寸八分、道鑑のものは、縦二寸四分、横二寸二分、惟時に充てたものも之と略同じ大きさで、各絹布に書いた頗る小さいものである。とのことです。

足利高氏から大友、島津、阿蘇、長井氏充て書状

(略) この文書は、元弘三年足利高氏が北条氏の命を受け諸国の官軍を攻めんがため上洛していたが、偶々後醍醐天皇の行在所伯耆船上山から官軍に帰順して北条氏及び其の与党を誅伐すべき勅命を受けたので、それに応じて丹波国篠村八幡宮に於いて義兵を挙ぐる…

遠方へ送るとき、小形にしたり布にしたり

この文書の料紙は薄い鳥子で、大きさは縦四寸六分、横五寸四分に過ぎない小形のものである。当時綸旨令旨を始めとして、かかる諸人の書状も、遠方に送る時は料紙を小形に整えたのである。更に紙を布に代えて、一層送致に便利な方法を講じた文書もあった。と…

吉野と征西将軍宮との関係

この書状は、九州の事は征西大将軍宮に御委任せられたから、総べて宮の令旨を以て下知せらるべく、吉野へ直奏の事はお取上げにならざる事、吉野と九州と両方にて事を御裁断せらるると、違乱を生ずる原因になる事を述べ、頼元に九州の事は宮の御計に依って御…

四条隆資の五条頼元宛書状

(略) この文書は吉野に居った四条隆資が、鎮西にあって征西大将軍宮懐良親王に奉仕していた五条頼元に送った書状である。当時鎮西の将士にして、大将軍宮に言上せず、直ちに吉野に奏聞して勅裁を仰がんとするものがあった。とのことです。

河内守楠木正行の書状、年号は受取者が附記

(略) この文書は河内守楠木正行が、同国観心寺の鎮守社の焼失を見舞い、神体は火中ぬ時であったことを奇瑞として喜び、事の次第を奏聞すべき由を、同寺々僧に伝えたものである。日附の上にある興国五は、授受の後、受取者が之を附記したものである。かよう…

楠木一門の古文書が多く伝わる金剛寺観心寺

金剛寺観心寺には正成始め楠木一門に関する古文書が多くあるが、この正成書状は、此等貴重な文書の一つである。書止めは普通の恐々謹言であるが、差出所に官名判を加え、謹上の上所を副えた頗る鄭重な書礼を表している。料紙は二枚で、之を表裏合わせて巻き…

楠木正成の河内金剛寺宛書状

(略)この文書は、楠木正成が元弘三年二月河内赤坂城にあって、関東の賊軍が同国金剛寺に乱入して、ここに城郭を構えて官軍を攻めんとした由を聞き、同寺衆徒に寺家一同協力して賊軍の乱入を防ぎ、且つ戦勝の祈祷を抽づることを請うために出したものである…

忠臣日野俊基の貴重な墨蹟

なおこの文書は、忠臣日野俊基の墨蹟として誠に珍重すべきものである。而もこの文書は、独立して伝存したものでは無い。その裏面を利用して他の記事を認めたために後世に伝わったものである。いわば偶然に伝存したもので、この点に於いて最初に述べた正倉院…

傍らに棒を加え返事を記したものを勘返という

俊基はかように書き入れて信耀の名の傍に署名して返送したのである。この棒を加えることを勘と云い、之を加えてその傍に返事を記したものを勘返と申している。一つの文書に俊基の返状が書き加えられ、一種の複合関係が成立している。尤もこの場合には返事を…

日野俊基が拝承した意味を表した棒線

(略) この文書は、醍醐寺の僧信耀が、蔵人大内記日野俊基に送った書状で、太元帥の御修法の事に就き執奏を請うたものである。図版の第三第六第七行の肩に棒の引いてあるのは、俊基が拝承した意味を現したもので、第二行の忩可申入候の五字は、太元の文字の…