信玄・勝頼を通じても三通りの変化があったに過ぎない

それから弘治二年六月から信玄の卒去した天正元年四月迄、又次代の勝頼が滅亡した天正十年迄、引継きこの龍の朱印は、武田家の家印として使用していた。然し弘治二年六月以後のものは、皆悉く同型であって、数多い文書に捺した印形を如何に子細に対比しても、其等の形状に相違を発見し得ない。要するに信玄の一代計りでなく、勝頼との二代を通じても、この朱印の形状には、三通りの変化があったに過ぎない。とのことです。