慶長五年頃、奉書式の印判状の終焉

本文書止めに「何々也」とあるは、家康の地位の高いことを示している。大久保長安が奉じ、日下に「忠恕」の朱印が捺してある。家康も武田北条家の如く、かかる奉書式の印判状を天正年代殊に十年以後多く出しているが、今ここに挙げた慶長五年頃のものが、大体その終末である。家康の印判状に限らず広く見て、この頃に至って、かかる形式の印判状は終わりを告げている。とのことです。