2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

社寺も政所を開設し、下文を出した。

第五種 社寺下文 前述のごとく令制には公卿の家の職員に関する定めがあったが、平安時代の中期以後に至ると、諸家においては政所を開設し、別當以下の家司を任命して、これらの家司をして下文を出さしめているが、これを政所の下文と称した。また社寺の有力…

親王庁・門院庁の下文

は 親王庁門院庁下文 令制に依れば、親王以下公卿の家には、家令以下の職員を置く定めであった。親王の庁また各女院の庁に奉仕した別當以下が各その庁務を執ったことは、右の令の制規に基づくものと思われる。これらの庁から別當以下の職員が位署を加えて下…

仰(おお)する所件の如し

第四種 院宮下文 い 院庁下文 で取り上げました文書の終わりのほうに「所仰如件」とあるのが、「おおせのところ」か「おおするところ」か迷っていました。なんとなく「おおするところ」と習ったような気がしてひっかかっていました。 これも佐藤進一『古文書…

天皇在位中に譲位後の御所とした後院(ごいん)

ろ 後院庁下文 後院(ごいん)とは、天皇御在位中予ねて御譲位後移らせ給うところと定められたものであって、嵯峨天皇の冷泉院に始まるという。後院にも院庁と同様、別當以下の職員があって、これらの人々が下文を出している。〔九二〕に挙げたものはその一…

多数の院司が名を連ねる院庁下文

〔九一〕に挙げたものは、永暦元年後白河上皇の院庁から、山城国司の在庁官人に下して、伏見庄民の木幡浄妙寺領を押妨するを止めたものである。かように国司に向かって出すものもあった。この院庁下文には浄妙寺境内にある摂政関白家の墳墓に関する記事もあ…

鳥羽法皇の院庁から下された下文

第四種 院宮下文 い 院庁下文 院庁下 信濃国小川御庄公文等 可停止平惟綱妨任預増證下知、令致沙汰下司職事 右、預大法師増證解状云、當御庄者、為相伝料、敢無相論、依以券文、寄進最勝寺御 料之間、下司清原家兼依致無道沙汰、池田宗里為讎敵、去五月十五…

下文と牒の区別は判然としない

下文の取り扱った内容は種々であって、牒と内容の上において如何に区別してあったか、その事情を窺うことができない。下文と牒との相違が何処にあるかを強いて求めるならば、下文の充所はたいてい個人であるところが、牒と異なる点といい得るに過ぎない。と…

下文、書止めは下知如件

牒の充所は、国衙、守護所、社寺、あるいは諸人となっているが、下文においては、右に示したものを始め、充所はたいてい個人で、中に〔九〇〕に挙げたもののごとく、寺院の衆徒となっているものもあった。 而して本文の書止めは悉く下知如件となっている。肥…

雑訴決断所の下文

は 雑訴決断所下文 雑訴決断所下 嶋津左京進宗久法師法名道恵所 薩摩国伊作庄半分南方并日置北郷半分南方等地頭職事、 右件所ゝ地頭職、道恵當知行不可有相違之状、下知如件、 建武元年九月廿九日 左少史高橋朝臣(俊春)(花押) 中納言兼侍従藤原朝臣(九…

別當宣を施行するために下した下文

〔八九〕に挙げたのは、元亨元年五月十六日千鶴丸と申す者に下したもので、このころになると正文が諸所に伝わっている。これは別當が訴訟を裁許し、その仰を奉って出す奉書というべき文書の一種で別當宣を施行するために下したものである。また訴訟の訊問の…

検非違使庁の下文

ろ 検非違使庁下文 蔵人所に次いで設けられた検非違使庁からも下文を出している。 〔八八〕に挙げたものは、天永二年三月日、大和榮山寺の寺領に関して、源親子に対する同寺の訴を裁定した時の下文であって、親子の提出した證文は紛失状のみで、さしたる公文…

蔵人・蔵人所から出る文書は宿紙

さてかような供御の料に関して蔵人所から多く下文を出したであろうけれども、今伝わるものは、右の他に同じ島津公爵家所蔵臺明寺文書のなかに建仁二年閏十月附のものが一通あるに過ぎない。このわずかな例によって多くの下文を類推することができる。この下…

大隅国臺明寺の境内に生える笛用の竹

蔵人所は嵯峨天皇の御代に置かれ、蔵人は禁中に於いて側近に奉仕し、御書籍衣服調度の事を掌り、のちには先に述べた宣旨の項で記したごとく勅旨の伝宣に携わった。また蔵人所は朝夕の供御の事も掌っていた。ここより出した下文はあまり古い時のものは伝わっ…

令外官の下文―蔵人所下文

第三種 令外官下文 平安時代に至って新たに設けられた蔵人所以下の令外官からも多く下文を出している。 い 蔵人所下文 蔵人所下 大隅国臺明寺住僧等 可令早任先例停止笛竹使新儀非法、安堵寺内事、 使 右彼者、国中第一之霊地、鎮護国家之砌也、仍昼夜不断、…

備後国司庁宣を受けた備後留守所下文

〔八五〕に挙げた文書は、久安三年十一月八日、丹波国留守所から天田郡に下した下文で、この種の文書の比較的早い時のものである。〔八六〕に示した仁安三年十一月廿二日備後国留守所から戸張郷に下したものは、留守所が前項庁宣の部に収めた〔八四〕仁安二…

庁宣の旨を更に下に伝える留守所下文

は 留守所下文 留守所下 春木市折両村 可令相替 一御社御供田拾参町壹段佰貳拾歩由事、 本御供田拾町壹段佰貳拾歩本十六町内 新 御 供 田 参 町 内 於壹町者二季御祭幣料布拾陸段代立用、 右件以両村作田當社御供田所相替也者、彼村司等、宜承知、用之、故下…

平安時代からの文書を伝える久利氏

なお前掲石見国司庁宣について少しく述べておこう。そもそも国司が郷司職を補任している史実は注目すべき事象であると思う。かくのごとく国司が郷司職あるいは郡司職を補任したことに関する文書は、前記のもののほかに、安芸国佐伯郡の厳島の神主、あるいは…

国印を捺した庁宣は、過渡期の現象

さてこの庁宣には国印が捺してある。これは前項に説いた宣旨と対比して注意を惹く点である。庁宣にして国印を捺した初見は、天喜元年六月五日附、安芸国司が同国高田郡に出したもので、安芸国印が三顆捺してあり、次いで天喜四年伊賀国司が、同国黒田杣司に…

在庁官人・留守所充が多い国司庁宣

ろ 国司庁宣 庁宣 定久利郷司職事、 清原頼行 右為人郷司職執行、補任所定如件、 康平六年十一月三日 大介清原真人(花押) 国司の庁宣は、国主もしくは介から、その管下にある者、もしくは管内に下す文書である。単に庁宣と書出してあるが、これは大宰府の…

大宰帥が管下に出す大宰府庁宣

第二種 大宰府諸国司庁宣 官宣旨に系統を引いて発展した下文を、その細かい書式によって分けてみると、書出しに何々下もしくは単に下と書くものと、何々宣即ち宣と書くものとの二様がある。大宰府ならびに諸国司からこの宣を出している。これを庁宣と称す。 …

公の官司と私の政所とが混合

ろ 右近衛府政所下文 この文書は、右近衛府政所から國吉という者が薩摩国牛屎郡の相撲人大秦元光の田地を押妨するを止め、かつみだりに刈り取った作稲を検査して返附せしめるために、元光ならびに府使光里に向けて下したものである。府使は右近衛府から相撲…

左馬寮の下文

甲式 差出所記入式下文 この式の下文は、専ら官制等の次第に従って排列する。 第一種 諸司諸衛下文 諸司諸衛から出した下文は多く伝わっていない。いま管見に入ったものを次第すると次の如くである。 い 左馬寮下文 〔八〇〕に挙げた下文は、長承元年九月廿…

下文を分類すると

下文を作成して差出す当事者は、各その位署を整えて花押等を加える。その箇所は、日附の下、もしくは日附の次行に書くものであった。なお日附の次行に表すときは、上下二段に亙るものと、上部のみのものと、下部のみのものとの三様があった。 さらに文書の右…

差出所記入式と非記入式の下文

広く下文と称すべき文書を、差出者という点から離れて、さらにこれを細かく観察すると、種々に区分することができる。 まず書式の上からみると、書出しに差出者の名称、例えば蔵人所とかあるいは関白家政所とかの如き文言を表して、次に下という一字を副えて…

官宣旨の系統を引く、庁宣・下文

第三類 下文 官宣旨の系統を引く文書に、大宰府ならびに諸国司から出す庁宣と呼ぶものがあった。なおこれと同じ系統を引く文書に下文と称するものもあった。大宰府ならびに諸国司も、庁宣と共に下文を出していたが、むしろ他の方面においてこれを多く出して…

令旨は僭称、家の別当宣と申しておくべき

宣旨が盛んに行われると同時に、諸家特に摂政関白家において、これに類する文書を出している。〔七七〕はその一例で、天永三年二月三日摂政右大臣藤原忠實が、その家の別当の替人を補任するために出した文書である。別当が右大臣の宣を被って出す形式を取っ…

符に代えるに下文をもってする

官宣旨の様式が基になって、他の文書が発展して来たことは注意すべき現象である。官宣旨の現れた以後の文書に、何々下あるいは単に下云々という書き出しをもって始まる様式の文書が多数現れるに至った。これらの文書をみな、下文という。 元来上位の役所から…

紙面に印を捺さない官宣旨

左辨官下向安芸国伊都伎嶋社路次国国 使散位佐伯朝臣景弘 従五人 右、權大納言藤原朝臣實國宣、奉 勅、為令奉幣帛於彼社、差件人充使、発遣 如件、国社承知、依例供給、路次之国、亦宜准比、官符追下、 治承三年十二月十七日 少史小槻宿禰(花押) 右中辨藤…

官符官牒から官宣旨へ

同じ太政官から出る文書でも、官符と官牒との二種あったことは、その充所の相違によるものであった。官宣旨は、前掲図版ならびに部類編〔七六〕のごとく社寺に下され〔七五〕のごとく諸国にも下されており、その充所は、官符官牒のものよりも範囲が広かった…

左辨官下云々の場合は、左を略して中辨某と書く

しかし左辨官下云々と書く官宣旨が必ずしも左辨官に属していた役人が出すものではなく、右辨官下云々もまた同様であった。延喜太政官式に左右辨官の一人が上庁に向って事を受けたとき、もし左辨官の取り扱うことを右辨官の人が受け、また右辨官の取り扱うこ…