公の官司と私の政所とが混合

ろ 右近衛府政所下文

この文書は、右近衛府政所から國吉という者が薩摩国牛屎郡の相撲人大秦元光の田地を押妨するを止め、かつみだりに刈り取った作稲を検査して返附せしめるために、元光ならびに府使光里に向けて下したものである。府使は右近衛府から相撲人を徴召するために発遣した者であろう。元来右近衛府が、相撲人の徴発ならびに相撲節の事を掌っていたので、かかる下文を出したものと思われる。相撲節に関した興味ある史料であることは勿論であるが、また古文書学上から見ても特に意義のある文書である。

書止めの例文の少し前に大将宣と書いてあるのは、内大臣近衛大将平重盛の宣を指している。日附の次行ならびにその下に位階を連ねている人々は、悉く右近衛府の職員である。政所は元来三位以上の諸家に於いて、その家の政を執るところであった。右近衛府に政所のあるのは、その長官たる重盛が公卿であったからと思われる。家の政所が右近衛府という諸衛の中に入るに至ったのである。これによって公の官司と私の政所とが混合している状況がわかる。とのことです。