当時下文と称していたが、明らかに相違がある下知状

右三通の文書は、叙上の如く細かい書式には多少相違したところがあるが、大体同様のものと見做して差支えない。書出しの部分は全く下文と同じであるから、この点を重視すれば当然下文と称すべきものであり、当時左様に呼んでいた。ただし将軍の仰に依って云々と、仰を奉って出す文書であることを明らかに示しているところに下文との相違がある。しかし下文と雖も元来上の仰を奉って出す文書であって、院庁下文、政所下文等に於いては明らかにかような意味のものと見て差し支えないが、然らざる庄園の預所の下文、或いは武将の袖判の下文の如き、差出所に自己を表したものの意志を直接伝えるために作ったと認め得るものもある。総じて下文といえば、このような点が曖昧になっている。しかしこの項に挙げた文書においては、かくの如き曖昧な点は無く、明らかに旨を奉って出したものである。当時これを下文と称していても、そこに下文と相違のあることを認めざるを得ない。とのことです。