地頭補任と異なり下云々のない鄭重な文書

第五類 下文変形文書

前述した下知状は、謂わば下文の変形した形式の一種と見ることができる。尚おかように下文が変形して生じたと思われる形式の文書がある。此等を下文変形文書の題目の下に類別する。而してその中を署判の位置に依って細別して説くこととする。

第一式 袖判下文変形文書

 第一種武家下文・御教書・下知状

             (尊氏)(花押)

  補任

     弾正少弼朝貞

    丹後国守護職

 右、任先例、可致沙汰之状如件、

(延元二)建武四年卯月廿一日

この文書は、足利尊氏が上杉朝貞を丹後守護職に補任する為めに出したものである。尊氏の地頭職補任の文書は、袖判の下文を用い、その例が沢山残っていることは既に述べた。然るに守護職補任のものに至っては、正文として伝わるは、この一通を知るのみ。この外には案文として〔一六四〕に挙げた建武五(延元四)年四月十四日、佐々木高氏を近江守護職に補任したものがある計りである。その文書は守護職と之に附帯した守護領をも充行っているところ、先の上杉朝貞の丹後守護職のものと多少相違している。然し何れも袖判を加えているが、下云々と書いた袖署判の下文ではない。少しの例を以て推測する危険を伴うかも知れないが、守護職の補任には、特に地頭職の補任と異る形式の文書を用いたものと思われる。守護は地頭よりも上位の職であるから、この種文書は、よし袖判に依って差出所が表してあっても、下云々の袖判の下文よりも、鄭重な書礼を具えていたものと見るべきである。とのことです。