2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧
公式令には、前記三種の位記が挙げてあるに過ぎないが、延喜式中務省の条に多く挙げられている。神位位記式、僧綱位記式、僧尼位記式、延暦寺棲山一紀僧位記式、五位以上位記式。 神位位記式。実物伝わる古いものはない。 僧綱位記式。勅書の項で挙げた円珍…
位記については、 勅授 五位以上 奏授 六位以下 判授 外八位及び内外初位 の三通りの書式が公式令に挙げられている。しかし、奈良時代の位記の実物は伝わっていない。位記の実物は、前記園城寺の開祖円珍の僧位記が最も古いもの。 〔一二〕僧圓珍授傳燈滿位…
第三類 位記 に入ります。 冒頭、図版の円珍に続燈大法師位を授けたもの。一紀六年を叡山に棲んだので、棲山一紀僧位記という。とのことですが、一紀はいっぱんに十二年のこととのようですが、どうなのでしょうか。ご存じの方、教えてください~。 字面に内…
図版に挙げた勅書の料紙は白紙で、徽号勅書には白紙が多く、まゝ黄紙を用いている。 御画日は、日の数のみと、日の字までを加えたものがあった。公式令義解には、勅に関しては御画日ならびに御画について記されていない。詔について令義解に御画日ならびに御…
〔九〕後奈良天皇宸筆諡號勅書 後奈良天皇が妙心寺開山慧玄の二百年忌に本有圓成国師と諡号を賜ったときのもの。「微妙塔下」と宛書を加えている。この御書礼といい、慧玄を篤く尊崇せられたによるものと思われる。妙心寺に賜る勅書は、これを踏襲し、 〔十…
〔八〕後花園天皇宸筆諡號勅書 御画日(ぎょかくにち)だけでなく、全文宸筆のもの。 夢窓疎石は、後醍醐天皇以下から五つの徽号を賜っていたが、後花園天皇が更に佛統国師の徽号を加諡したときのもの。中原康富の日記にも全文宸翰であったことが記してある…
〔六〕醍醐天皇贈位諡號勅書 官職に相応して位階を賜った。この時出す文書を位記という。醍醐天皇が、園城寺開祖円珍に、僧官の極位法印大和尚位を贈り、智證大師の徽号を贈られたもの、ということですが、「故天台座主少僧都円珍」とあるので、生前の徽号で…
第二類 勅書 に入ります。 公式令義解によれば、大命中、尋常の小事に用いるのが勅である。 1 勅を奉る人が、中務省に宣べ送る。 2 中務省にて覆奏を致す。 3 終わって之に卿以下の署名を取って案として留めておく。(この時には御画日は加えない) 4 中務省…
〔四〕正親町天皇宣命 織田信長に太政大臣従一位の官位を贈られたときの宣命。料紙は黄紙、日附に御画日「九」。このころには後に紹介する徽号(きごう。天皇が高僧に生前贈る号)勅書と同じように、日附を加え且つ御画日を加えることとなっていた。信長の菩…
〔三〕後白河天皇宣命案 保元の乱の乱後の処罰を石清水八幡宮に告げさせた宣命。平安時代中期ごろから、読み宣ぶる詔を宣命と、文章に書き表して宣読を主としないものを詔書と区別するようになった。神祇に告げ奉るものは皆宣命と申した。 後昆(こうこん)…
記念すべき第一号の文書です。 〔一〕文武天皇元年八月十七日御即位の詔 文書の始めと終わりに、主格・対格を表す書式は、日本固有のものだそうです。 〔二〕醍醐天皇朔旦冬至詔 十一月朔日が冬至にあたるのが、二十年に一度あり、これを祥瑞として出した詔…
第一図に掲載されている孝謙天皇宣命案。その冒頭、 天皇我大命良末等 とある、この「らまと」が分からなかったので、検索したのですが、なかなかわかりませんでした。 こんなときの佐藤進一『古文書学入門』。索引が古文書学小辞典としても使えるんだよと石…
平安時代中期ごろに手続きが変わった。西宮記、北山抄によると、 1 上卿(その日の政を扱う上位の公卿)勅を奉り、中務省の内記に詔書を作らせる。 2 上卿、太政官の外記より筥を召し、詔書を中に入れ内記に持たせて御所に就いて奏す(詔書草奏)。 3 返給わ…
第一部 公式様文書 第一類 詔書 宣命 詔―臨時の大事 勅―尋常の小事 読み聞かせるから万葉仮名でこの文体を宣命体と称する。 1 中務省の内記御所にて作る。 2 御画日(ぎょかくにち)、例えば一日の「一」の字を宸筆。 3 中務省に案として留め、一通を写して…
国史に関した文献上の史料として実物の伝わる最古のものは、 「漢委奴國王」の金印。 我が国で作った最古のものは、 紀伊隅田八幡神社の鏡。 次に古いのは、 元法隆寺、御物の如意輪観音像の白座框縁 推古天皇丙寅年 法隆寺薬師如来蔵の光背 推古天皇丁卯年 …
第四章 第二節 古文書伝存の特殊状況 です。 まとめに入ります。 社寺は、京都奈良を中心に多く、そのほかは、鎌倉を除いて、だいたい平均している。 武家は、九州一円、中国の西部、東北地方に多い。九州は、松浦党、肥後人吉の相良家、阿蘇家、島津家。中…
第五項 諸所の蒐集古文書 です。 古文書は、それを授受したものの後代のものが所持することが原則だが、献納したりやむなく他の者に渡すこともあり、今日全く関係のなかったところに伝わることもかなりある。 内閣記録課。明治時代修史局開設のころ所々から…
庶民伝来の古文書 です。 紀伊に、庶民にして南朝の綸旨を伝えているもの、武家として活躍後、子孫が帰農。 東国に、庄屋名主の子孫にして今川・北条・武田などの知行充行の判物、感状、印判状を伝えているもの、大名に仕えたもので後に郷村の名主となってい…
以上は、鎌倉時代室町時代に守護地頭御家人として活動した武家に伝わった古文書を主としていたが、戦国時代以後世に著れて古文書を伝えた家も少なくない。 安藝廣島の淺野家、筑前福岡の黒田家、肥前佐賀の鍋島家、阿波徳島の蜂須賀家、伊予大洲の加藤家、土…
西海道地方です。 武家古文書が最も多く伝わっているところです。 筑前。麻生氏、蒲池氏。 筑後。五條氏、征西将軍宮に奉仕した頼元の子孫。草野氏、荒木氏、田代氏。柳川の立花伯爵家には、大友氏の鎌倉時代以来守護としての文書を伝えている。ほかに鎌倉時…
南海道地方です。 紀伊。伊都郡の隅田党、小山氏、愛洲氏。 伊予。大三島の祝家、忽那島の忽那氏。河野氏の古文書は淀稲葉家にも多少伝わっているが、諸所に散佚。安藝の築山河野家譜に載せられているが、子孫築山家には古いものは伝わっていない模様。 土佐…
山陽道地方です。 播磨、備前、備中。なし。 備後。地毗(じび)荘の山内首藤氏、毛利氏に従い萩に伝える。 安藝。都宇竹原沼田諸庄の小早川氏、高田庄の毛利氏は山内首藤氏と同じく相模出身、高屋保の平賀氏は出羽出身、三入庄の熊谷氏は武蔵出身、大朝庄の…
北陸道地方です。 若狭、越前、加賀。なし。 能登。得江、得田両氏のものが前田侯爵家に所蔵されている。 越中。なし。 越後。みな米沢に移っている。 山陰道地方です。 丹波。有智庄の片山氏(武蔵七党)、久下氏(武蔵から)。 但馬。夜久氏。 出雲。三刀…
東山道地方です。 近江。小佐治、山中氏。高島郡朽木谷の朽木氏、数千通以上、いま内閣記録課所蔵。 美濃、飛騨。なし。 信濃。下伊那松尾の小笠原氏は、越前勝山藩主となって伝えている。水内郡の市河氏の文書は米沢に移り、さらに酒田本間家の所蔵となって…
東海道地方です。 伊勢。佐藤氏、澤氏。澤氏は北畠氏の家臣、いま内閣記録課の所蔵。 遠江。天野氏、いま前田家の所蔵。 駿河。伊達氏、美作に伝わり、いま京都帝国大学の所蔵。安倍山に起こった伊東氏は、後に小田原北条氏に仕えて文書を伝えている。 伊豆…
武家伝来の古文書です。 社寺に次いで多いです。 五畿内地方。極めて少ない。 京都にて室町幕府内談衆伊勢家に仕えていた蜷川家、いま内閣記録課所蔵。 和泉。淡輪、日根野氏いまは別の人の所有。田代氏いまは筑後。 河内。和田氏、いまは薩摩。 山城。革島…
公家伝来の古文書 近衛・九条両家に平安時代以来の政治に関するもの、摂関家領に関するものが多い。次いで菊亭、久我、勧修寺、西園寺、三條西、廣橋、山科、舟橋、土御門、壬生の諸家。なかでも久我家には、鎌倉時代から室町時代に至る、同家所領に関する古…
ふー。第四章 第一節 第三項 社寺伝来の古文書 が終わりました。あと、少しですよ。第四項は諸家家伝の古文書です。公家伝来の古文書、武家伝来の古文書(またまた地方別です。日本もう一周がんばりましょう)、庶民伝来の古文書です。 続いて第五項諸所の蒐…
西海道地方です。 筑前。筥崎八幡宮、先述のとおり石清水八幡宮に伝わっているが、旧社家田村氏に鎌倉時代からの文書が伝わっている。宗像神社、太宰府神社に多く伝わる。太宰府神社のものは西高辻、大鳥居、小鳥居の旧社家、別当満盛院に分かれて伝わったが…
南海道地方です。 紀伊。海草郡の日前國懸両神宮(鎌倉時代から)、伊都郡の隅田八幡神社、同郡天野の丹生都比賣神社に後村上天皇御奉納の法華経と宸翰の御寄進状あり、旧社家丹生氏にも伝わる。那賀郡の若一王子神社には宮座に関する黒箱古文書というものが…