次に同じ印文を正圓単郭の中に収めたものを用いている。「非」の印文は、恐らく宗麟が三非齋と号していたからであろう。それから前掲図版に示した文書に捺した印を用いたのである。なおこの印を捺した一例を示すと、〔五七九〕の如きがある。(天正八年)四月十五日大津留右京入道にその安楽平城に楯籠れる軍功を労い、更に加勢のある迄在城の使命を全うするように命じた文書である。更に天正十二年頃になると、先のローマ字の印を廃めて、小判形の重郭の中に十字架を書き、その下に J.H.S. の三字を印文としたものを用いている。とのことです。