第四章 第二節 古文書伝存の特殊状況 です。
まとめに入ります。
社寺は、京都奈良を中心に多く、そのほかは、鎌倉を除いて、だいたい平均している。
武家は、九州一円、中国の西部、東北地方に多い。九州は、松浦党、肥後人吉の相良家、阿蘇家、島津家。中国西部は毛利家。東北地方は、上杉・伊達・佐竹三氏。この三地域を除くと十中三にも及ばないだろう。武家の文書が近畿或は関東地方に少ないのは、諸氏の興亡が激しかったためである。坂東八平氏、武蔵七党の栄えた相模武蔵の両国に武家家伝の著しいものは一家もない。他の地方に移ったものばかりである。
薩摩の二階堂(相模)、渋谷(相模)、肥後の小代(武蔵)、肥前の深堀(上総)、豊後の大友(相模)、安藝の毛利(相模)、小早川(相模)、熊谷(武蔵)、備後の山内首藤(相模)
従つて武家家傳の古文書を研究資料として使用するに當つては、先づ以て右に述べた傳来の實情を知つて置く必要がある。研究資料を探索するにも、順序のあることを心得て居らなければならない。
庶民所持の古文書。武家の状況と大いに異なる。近江、若狭に多く、東国にては、信濃、遠江、駿河、伊豆、甲斐、相模、武蔵など青木敦書が採訪した地に多い。もと徳川家の領地だったからか、青木が尊重すべきことを鼓吹したからか著しい特色である。大体永正の末年から天正文禄のころに及ぶ文書で、今川、北条、武田、徳川諸氏が出した判物、印判状が主なものである。武家家伝の文書の多い、九州、中国地方には多く存在していない。
地方によって古文書伝来の実状の異なることをよく知って、その地方に伝わる古文書が、他の地方にあまりないもので、史料として特別重要な意義を持っているということを理解しておかなくてはならない。
又かゝる特別な意義を持たない、どの地方にもある古文書を傳へてゐても、それがどの家にもあると云ふわけではなく、今日その傳存を見たのは、之を傳承した先祖代々の努力に依るものであるから、現在所持してゐる者は、更に子孫に向つて之を大切に傳へて行くやうに努めねばならぬことはこゝに申すまでもない。
古文書が本質上の力を離れても、尚ほ傳来するに至つた機縁は、實に古文書を歴史資料として重ずるところにその根基が存したのである。
我等は益〻古文書の史料として価値あることを究明し、その保存の途を講ずると共に、之を充分研究資料として活用し、之に依って光輝ある我が歴史に彌〻光彩を副へんことに努め、以て先人の努力に報いるところが無くてはならぬと信ずる次第である。
〻=この記号、「にのじてん」ででるのですね。はじめて知りました。
これで前編は終了です。次回からいよいよ中編古文書の形様に入っていきます。