古文書の形様のはじまり

国史に関した文献上の史料として実物の伝わる最古のものは、

 「漢委奴國王」の金印。

我が国で作った最古のものは、

 紀伊隅田八幡神社の鏡。

次に古いのは、

 元法隆寺、御物の如意輪観音像の白座框縁 推古天皇丙寅年

 法隆寺薬師如来蔵の光背 推古天皇丁卯年

墨筆を以て書いた最古のものは、

 元法隆寺、御物の聖徳太子御筆の法華経義疏 推古天皇二十一~二十二年

これに次ぐのは、

 元法隆寺、京都小川睦之輔氏所蔵の金剛場陀羅尼経の第一巻 天武天皇戌年

以上のものは、古文書ではない。古文書として最古のものは、

 文武天皇大宝二年の美濃、筑前豊前、豊後の一部分の戸籍

大宝律令は、大宝元年に成った法令で、いま伝わるものは、養老二年修定したものといわれている。この令のなかの一巻に、公式令といって文書に関する規定が含まれている。

公式令に様式の規定してある古文書を、第一部とする。

平安時代に新たに現れた公の文書、次いでその系統を引く文書を、第二部とする。

平安時代末期から、書状消息を書札と呼び、書札様文書を、第三部とする。

室町時代末期から、印を捺した文書を印判状と呼び、第四部とする。

下位の者から上位の者へ差しあぐる文書を上申文書として、第五部とする。

神仏に対して奉った文書を、神仏に奉る文書として、第六部とする。

後日の証拠として書き置く文書を、諸證文として、第七部とする。

 

中編は後編と対比してみる必要がある。中編の〔 〕のなかの数字は、後編の通し番号となっているので、番号で探してもらいたい。とのことです。