書止めの文言が武家の下知状と同じ寺院の下知状

次に〔一六〇〕に挙げた仁安二年九月十二日附、實勝と申す者に、大和佐保田の本免田を預ける為めに出した文書がある。その差出しに位署を加えた僧侶が何寺のものか明かでないが、東大寺文書の中にある点から見て、恐らく同寺に関係のある人であろう。この文書は本文書止めが前記武家の下知状と全く同じである。唯差出者の位署は、前述した下文と同様武家の下知状と相違している。尚ほ〔一六一〕に挙げた寛元元年八月十七日の文書は、興福寺の僧長薗と東大寺三綱寺主俊快との伊賀黒田庄内出作の田地に関する相論を裁許する為めに出したものであるが、東大寺預所が、袖判を加えた同寺法務の仰を奉って出したもので、之も〔一六〇〕と同じ形式をとっている。とのことです。