新補地頭の濫妨をとどめる下知状

なおこの下文と称する文書に連関して更に説くべき文書がある。

下知状第二種

 

 可令早停止為阿波国櫛淵別宮地頭秋本二郎兵衛尉代官背庄務擇取神民相伝能田濫

  妨農業事、

右、如訴状者、為新地頭秋本二郎兵衛尉代官擇取神民等相伝之能田、号地頭分令領

作之間、各避所残之薄田、絶農業畢云々、者、事若実者、地頭所行甚自由也、有限

本給田本名分之外、何背庄務、恣可択取他名哉、慥任先例、停止濫妨、可令安堵百

姓之状、依仰、下知如件、

    貞応元年七月廿四日

                   陸奥守平(花押)

 

この文書は、石清水八幡宮阿波国櫛淵別宮の地頭秋本二郎兵衛尉の代官が、庄務に背き神民即ち百姓の能田を擇取って農業を妨げたので、鎌倉幕府が之を停止するために下したものである。新地頭とは、承久合戦の勲功として補任した新補地頭のことであろう。別宮領の百姓は、神領たるを以て神民とも称していた。有限本給田、本名分とは、一定している従来からの給田、名田という意味、給田とは地頭の得分として全体の田地の何割として与えられた田地、名分とは地頭名といい、百姓名平民名と相対するもので、地頭の進退する名田をいう。とのことです。