検非違使庁の下文

ろ 検非違使庁下文

蔵人所に次いで設けられた検非違使庁からも下文を出している。

〔八八〕に挙げたものは、天永二年三月日、大和榮山寺の寺領に関して、源親子に対する同寺の訴を裁定した時の下文であって、親子の提出した證文は紛失状のみで、さしたる公文無きにより、榮山寺の所持せる天元二年の官符ならびに寛和六年の民部省の寺領勘査の状に任せて、親子の妨を止め、同寺をして領知せしめる旨を伝えるために出したものである。

文中別當宣に依って仰する所云々とあるのは、日附の下以下に位署を連ねた検非違使庁の役人が、その長官たる別當の仰を奉じて、この文書を出すという意味を表しているのである。

検非違使は、平安時代における令外官で、この時代に最も活動したのであるが、かかる下文の原本、案文ともに伝わるものが少ない。ここに挙げたものは平安時代における唯一のものである。このほかに案文として、これより三年前、嘉承三年東寺領摂津垂水庄の課役徴発を止むるために出したものがある。〔八八附録〕の文書がそれである。独立した文書としてはこの二通に止まる。何れも珍重するに足る。とのことです。