奥下署判下文、差出所非記入式に多くみられる

第二式 奥下署判下文

奥署判の下文の部類で、下部に位署を加えたものがあり、これを奥上署判下文に対して奥下署判下文と呼ぶこととする。この式のもので、差出所記入式の部に入る下文が、国衙の留守所、蔵人所検非違使庁から出していることは既述の如くである。差出所非記入式のものには、この形式に属するものが多く、殊に鎌倉時代以降、武家の文書の中に多くみられる。

第一種 庄園預所下文

右の図版は、若狭西津庄多烏浦の預所が、物部延時という者を源録職に補任するために出した文書である。これが庄園預所の下文の一例である。源録職とはあまり見えない名称であるが、おそらく庄官の一種で、通例の下司職に当たるものであろう。

なお〔一一五〕に挙げたものは、正嘉二年九月、山城革島庄預所が、その領家から西山法華寺の供田一町を寄進したことを、庄官百姓に知らしめるために出した下文であるが、書式は前掲のものと全く同一である。前項に挙げた庄園の預所及び源頼朝が、上署判を用いたものに、この形式の下文を対比すると、この下文は差出者が卑下した態度を示していると見るべきである。すなわちこの式の下文を出していることによって、この預所の地位が比較的低かったことを推測できるであろう。とのことです。