署判が日下の場合、日附の次行より謙遜を表す

第二種 武家下文

〔一一六〕は、建久六年正月十一日、北条時政が肥後阿蘇社司神官に下した文書である。これは下署判ではあるが、細かくいえば署判が日附の次行に加えてある。さらに〔一一七〕は、正慶二(元弘三)年閏二月十九日、薩摩守護島津道鑑(貞久)が、家人に知行を与うるために出したものであるが、署判が日下に加えてあるのは、時政の下文よりも謙遜した意味を表しているのである。〔一一八〕に挙げた、建武三(延元元)年三月八日、桃井義盛の下文も同様のものというべきである。とのことです。