源頼朝の下文の初見

第四種 武家下文

下文が武家の文書の中に、将軍家政所の下文として入っていることは既に記述した通りであるが、奥上署判の下文としても用いられている。〔一一二〕に挙げた文書は、寿永二年十月十日、源頼朝が賀茂神主重保に下した下文で、頼朝の疑わしい下文は数多くあるが、確実なものの初見のものである。文書の形式からいえば、頼朝の公の文書は、庄園の預所級のものから始まっている。

なお、〔一一三〕に挙げたものは、遥かに年次が降って、暦応二年十二月十三日、足利直義高野山金剛三昧院領筑前粥田庄上下諸人并に運送船に対する関所料免除の証文として、西海道関渡沙汰人に充てた形式の文書、すなわち過所と称すべきものであるが、この下文の形式を取っている。とのことです。